「うれしい」と感じるとは
整体にとって感情というものは大切になります。なぜならば心と体はつながっているからです。そこで「うれしい」という感情をここでは書かせていただきます。
うれしいと感じることは細胞が活性化されて「体に良い」なんていうことも聞いたことがある方も多いかと思います。
では感情とはなんでしょうか。
感情とはうれしいと感じる心なのかもしれません。では心とはどこにあるのでしょうか?胸の奥でしょうか?頭の脳のなかでしょうか?
「目に見える脳の見えない働き」が感情、つまり心だとする科学的説明もあります。うれしい時にエンドロフィンが出ると科学では説明しています。またそれは実際に確認されていることです。
では考えてみましょう。
このうれしいという感情と、エンドロフィンの分泌はどっちが先なんでしょうか?
うれしいからエンドロフィンが分泌されるのでしょうか?
エンドロフィンが分泌されるからうれしいのでしょうか?
もしどちらかが先であれば、両者は同じものではない別のものと考えられるようになります。うれしいという感情がエンドロフィンという物質であるという説明がつじつまが合わなくなります。もし両者が同じタイミングなのならば、うれしいという感情がエンドロフィンという物質になりますが、感情が物質と言うことは一体どういうことでしょうか。エンドロフィン分子は電子顕微鏡で拡大すれば見えるかもしれませんが、その分子をみて「うれしい」というということなんて、どうやったって見ることはできません。
ややこしいですね、体って。
ですが、ほんとうに体が「うれしいと感じる」ことができたら、体にとって素晴らしいことだと思いませんか。
こういう部分を掘り下げていくと、本当の意味での体が整う 「整体」 に行きつくのではないかと自分は考えています。
みなさんの「うれしい」はどこにありますか?
人間本来の「うれしい」はどこにありますか?
少し考えてくださいね。
きっと良い答えがみつかり、心身は整っていくはずです。
整体の方法
自分を知ることが整体の第一歩
ここでは私が影響を受けた正木高志さんの「木を植えましょう」(南方新社)の一節を引用させていただきます。
まず自分を知ることが体を整える(整体)第一歩と考えます。
自分とは何か?
自分の手を見てみよう
手のひら、甲、指、爪、皮膚があり、骨があり、筋肉があり、血管があり、血管の中には血液が流れている。この手の中に、ほんとうに自分のものといえるものがあるだろうか。
鏡に映った顔を眺めてみよう。
ぼくたちが自分だと思っているこの顔のなかに、ほんとうに自分自身といえるものがあるだろうか。目、鼻、口、歯、耳、髪の毛、そのどこかにひとつでも自分のものといえるものがあるだろうか。
いや、これらすべては米や野菜や魚や肉や牛乳など、食べたり飲んだりしたものからできている。自分以外のもので形成されている。言葉を変えれば、環境からできている。自分自身のものなどなにひとつない。目も鼻も口も歯も髪も、すべて環境によってつくられている。
からだの四分の三は水分だ。ぼくらのからだにみちている水分は、ほとんどが農場の上流の谷川の水である。水田に引かれている水も谷川の水だし、毎日食べている米に含まれている水分もおなじ水。畑の野菜に含まれている水も同様だ。お茶を入れる水もその水源から引いている。そのようにぼくのからだの水分のほとんどはこの山の水である。
山に降る雨は、草木を潤し、谷川を流れ、海へと流れ下る。そしてその一部がぼくのからだのなかを通過する。からだにとりこまれた水は、体液となり、血液となり、体内をめぐって、排泄され、環境に還り、海へ流れ下る。
農場にふりそそぐ太陽光線も、トマトになり、オクラになり、ほうれん草になり、大豆になってぼくらのからだにとりこまれ、燃焼して、農作業をしたり、考えたり、話したり、笑ったり泣いたりするぼくらの活動エネルギーになっている。ぼくの行住坐臥はこの山の自然の燃焼である。また、食物が燃えてエネルギーとなるのは、呼吸によってとりこまれる酸素による。酸素は植物から供給される。ぼくたちが排泄する二酸化炭素を植物が吸い、植物が排泄する酸素を吸ってぼくたちは生きている。循環は一瞬もとどこおることなく流れ続けている。
よく見れば、ぼくたちのあらゆる細胞、一挙手一投足は、すべて環境からできている。
私とは何か?
私は環境だ。
手も環境、足も環境、頭も環境、お尻も環境、歌も環境、怒りも環境、労働も、祈りも、あらゆるものが環境だ。環境以外のものはひとつもない。
環境はまたぼくたちのからだのなかに固定されているわけではない。細胞は約三か月間で入れ替わってしまう。体液も、血液も、筋肉や骨や髪の毛の細胞も、すべてが一瞬一瞬新陳代謝をつづけている。流動が止まったら、死ぬ。環境はぼくたちのからだにはいり、変化し、環境に還る。つまりぼくたちは流動する環境のプロセスなのだ。ミミズが口から土をとりこみ、尻から土を排出しながら環境のなかに生きているように、ぼくたちもまた口から環境をとりこみ、尻から環境を排泄しながら環境のなかに生きている。
ぼくたちが自分以外のものからなりたっているのはからだだけではない。たとえば考えること。
ぼくが考え、語っている言葉や概念のなかに、何かひとつでもほんとうに自分自身のものよいえるものがあるだろうか。生まれたとき、ぼくは言葉を知らなかった。言葉によって認識している世界のすべては、誕生した後に親や兄弟姉妹、近所の人々、学校の先生や級友たち、職場の先輩や同僚たちから学んだことであり、本や、新聞、雑誌、映画、テレビ、インターネットなどから得た言葉である。そよ風や夕焼け、小川のせせらぎや魚たち、雑木林の小鳥や昆虫、海、山、子供のころ飼っていた犬やカブトムシたち、夜に眺めた星座から得た情感。
言葉や概念というものはすべて、さまざまなできごとや人々や自然から学んだものによってなりたっており、はじめから自分のものであったものはひとつもない。言語そのものが数千年、数万年、あるいは人類誕生以来ついかわれ、伝えられてきたものだ。
世界にはひとつの大きな言葉の海、あるいは概念の海のようなものが存在するのだろう。それを文化といってよいかもしれない。ぼくたちはその表面にたつ無数のさざ波のひとつなのだ。それぞれの波はみな少しづつ形が違っているのかもしれないが、どの波もおなじ海水からできている。
実在しているのは海だ。
整体と呼吸について
ここでは「呼吸」についてまとめたものを載せさせてもらいます。
「整体」と「呼吸」は深い関係があると考えます。
その意味で「呼吸」はどのようなものかと言うことを知ることも大切になります。
ここでは呼吸について書かせてもらいますが、大変長いものなので、興味がある方はお読みください。
何か違うよ、ここはどういうことなの、などの疑問がありましたらお問い合わせください。
呼吸とは
琉球唐手の流れの空手道に於いて『那覇手』と呼ばれる唐手がありますが、その基本の型に『三戦(サンチン)』と呼ばれる型があります。この型は古くから伝わっている“守りの型”で、『呼吸を制御(コントロール)』して、身体を締める事によって完成され、完全に成された時には凡(あら)ゆる攻撃に対して、高い防御力が発揮されます。
この様に、“呼吸”を制御する事は、武道やプロレスなどの格闘技は勿論の事、水泳やマラソン等のスポーツに於いても重要な事です。インドのヨーガに於ける“プラーナーヤーマやクンバカ”或いは、中国の内丹術に於ける“武息・文息”などの『呼吸法』と呼ばれるものは、古くから世界中に多数存在し、“気功”に於いても行法の基本となる重要なもので、道教や仏教などの宗教や西洋魔術に於いても、それぞれに独特の呼吸方法があり、修行が成されています。
“呼吸を訓練する”事は『心身を訓練する』為の最も簡便な手段の一つであり、修得しておくべき重要なものだと考えられます。
先ずは、ヨーガに於ける呼吸法である『プラーナーヤーマ』について解説しましょう。
プラーナーヤーマは、単なる“呼吸法”というよりは、呼吸を通じて身体の内外の“生命エネルギー”の吸収及びと循環と調節をする事を意味しており、『調気法』とも呼ばれて居ます。そもそも、プラーナーヤーマの『Purana(プラーナー)』とは、古代インドのサンスクリット語で“息吹(いぶき)”を意味する言葉であり、身体の内外に存在する“生命エネルギー”を指し、中国や日本などでは“気”とも訳されています。この“生命エネルギー(プラーナー)”を吸収する呼吸方法が『プラーナーヤーマ』であると云われ、インド哲学に於いて、プラーナーは、同時に人間の存在の構成要素の一つである“風”の元素も意味しています。
ヨーガの中でも特に『ハタ・ヨーガ』に於いては、ヤマ(制戒)、アーサナ(坐法)、シャトカルマ(浄化法)、ムドラー(印相)、プラーナーヤーマ(調気法)、ディヤーナ(瞑想)などの修行の中の一つとして“プラーナーヤーマ”が実践されますが、ハタ・ヨーガでは、基本的には“クンバカ(止息)”が中心となります。このクンバカとは、一般人が思い描く様な生優しいものではなく、発汗や痙攣などの生理的な変調が生じる程の長い時間、息を止める事を要求するものがあり、クンバカを行う事は、門外漢の初心者や、遊び半分で行う者にとっては極めて危険な行為ですので行う際には充分な注意が必要です。また、ヨーガの中には「拘束」を意味するバンダというものもあり、バンダは、身体の中の引き締める所の全てを指しますが、呼吸を止めて、筋肉を引き締める行為です。
この様に、ヨーガの全てに於いても、『呼吸を制御する』事は重要な事なのです。プラーナーヤーマは、インドからシルクロードを経て中国に伝わり、更に研究と整理が成され、山術(※山で行う肉体修行)として、仙道などの宗教や武術に取り入れられました。仙道に於いては、身体に“気”を巡らせる『内丹術』というものがあり、その中に呼吸法として「調息(ちょうそく)」と呼ばれるものがあります。プラーナーヤーマの様に気を吸収するという大きな捉え方としては「服気(ふっき)」とも呼ばれます。
この様に、中国の気功なども呼吸法自体の哲学と実践技法は、古代のヨーガが源流である事が解ります。調息は、ただ呼吸する事とは違い、その呼吸法自身に目的を持たせた基本となる呼吸技術であり、種類として、「武息」「文息」「微息」「真息」「胎息」「密息」「止息」があります。 気功に於いても、行法の基本となる重要なものでもあり、道教や仏教に於いても呼吸法が修行されています。また、それぞれに独特の呼吸方法があり、呼吸法を訓練する事は『心身を訓練する』最も簡便な手段のひとつであるとも言えます。仙道やヨーガ以外の宗教思想に於いては、Quabbalah(カバラ=ユダヤ教神秘主義)哲学やキリスト教のカトリックに、これに近い概念として、「ルーアハ(息吹)」というものがあります。これはプラーナーと同じく命・霊・風をも意味し「神から分割された生命の本質」や「マクロコスモス=神」に対応し、生き物(即ち息物)の生命力そのものとされ、やがてその存在は「神」の根拠にまで高められました。 なお、古代ギリシャ於いても類似概念として、「プシュケー」や「プネウマ」と呼ばれる古代中国の『気』と類似した概念があり、「ミクロコスモス=個人」という概念とも対応しているといえます。 近代西洋高等儀式魔術に於いては、基礎的な魔術修行法として行われるリズム呼吸法の一種に、Four fold Breath(四拍呼吸)と呼ばれる呼吸法があります。四拍呼吸は、ヨーガや内丹術の呼吸方法を基に作られたリズム呼吸法であり、G∴D(TheHermeticOrderoftheGoldenDawn=ゴールデンドーン=黄金の夜明け団)系の西洋魔術に於いては、最初に教わる実技修行であり、位階0=0:Neophyte(ニオファイト=新参入者)用の講義文書では、呼吸法として簡単に方法が紹介されている技法なのですが、現在の西洋儀式魔術に於いては、基本的技術の一つとして、必須の修行となっており、近代西洋魔術の実践に於いては、先ず最初に四拍呼吸の修行が例外なく行なわれています。
呼吸法の重要性が理解出来た所で、次は呼吸そのものを理解する事にしましょう。 呼吸は、普段から無意識に行なわれている為、意識して考える事が殆ど無いのが普通ですから、先ずは、この“呼吸”について知る必要があります。 食事などは一日くらいは、しなくても問題は殆どありませんが、呼吸に関しては、5分以上も止めていれば、生命が危うくなる事もあり、消化器系や循環器系などの活動も生命維持には必要不可欠ですが、呼吸はこれらとは異なり、それ以上に生命維持活動に必要不可欠な人体の活動でありながら、通常は訓練せずとも人間が意識的に操作をする事が可能であるという特徴があります。 また、人間などの生命体にとって、その能力を最大限に活かす為には是非とも呼吸の制御は出来る様にしておくべき重要なものだとも考えられます。 呼吸を物理的に説明をすれば、大気中の空気の成分比率は窒素(N2)78.08%、酸素(O2)20.95%、二酸化炭素(CO2)0.034%等と言われていますが、この空気を吸気により体内に取り込み、約20%である“酸素(O2)を体内の細胞に供給し、細胞内の最終電子受容体である『ミトコンドリア』於いて、予め体内の細胞内に用意された『Glucose(グルコース=ブドウ糖=C6H12O6)』を“酸化”させ、その化学変化に於ける相転移の際に発生する“熱エネルギー”を得る為の『異化代謝』です。 この異化代謝での最終的な副産物として『水(H2O)』と『炭酸(二酸化炭素=CO2)ガス』が作り出されますが、炭酸ガスは排気として体外に排出します。この『異化代謝』が呼吸の最大の目的であり、その為、効率よく吸気と排気を行う必要がある訳です。 酸素には強い酸化力がある為、本来は全ての物質の中で一番毒性の強い気体な筈なのですが、生物の誕生から現在に至る迄に、多くの生物が“酸素”を利用した酸化過程を通じて大きなエネルギーを利用が出来る様に進化して来ていますので、本来は物質として猛毒である筈の酸素を利用した代謝の出来る生物にとっては、酸化よりも、青酸(シアン化水素酸)などの様に、ミトコンドリアの電子伝達系を阻害する方が、猛毒となる訳です。また、Glucose(グルコース=ブドウ糖=C6H12O6)は、Dextrose(デキストロース)とも呼ばれ、人間をはじめ、動物や植物が活動する為のエネルギー源となる物質の一つで、代表的な単糖の一つです。 因みに、植物の光合成は、呼吸とは逆に、細胞内に取り込んだ炭酸(二酸化炭素=CO2)ガスと水(H2O)から『葉緑体』でブドウ糖(C6H12O6)を作り上げ、その副産物として酸素(O2)を作っているので、化学反応式にすると、もっとよく分かります。
呼吸 C6H12O6 + 6O2 → 6CO2 + 6H2O 光合成 6CO2 + 6H2O → C6H12O6 + 6O2 となります。 ただし、この反応は無条件で起こる訳ではなく、この反応を起こす為には、逆に光などのエネルギーが必要になります。 我々、人間が効率よく酸素を獲る為に呼吸をするには概(おおむ)ね二種類の呼吸があり、『胸式呼吸』と呼ばれる呼吸方法と『腹式呼吸』と呼ばれる呼吸方法があります。 先ずは、この二種類の呼吸の違いを理解して頂きたいと思います。 呼吸に必要な体のパーツは、大前提として『肺』と胸筋、腹筋、横隔膜、等の『筋肉』です。位置関係を把握し、イメージしてみて下さい。体操等で腕を広げ、思い切り息を吸った場合、つまり胸を張った状態で、肋骨の内側に、「息を吸い込んだ」と感じる部所に“肺”がありますが、その肺の下部に横隔膜、そしてその表面に腹筋があります。そもそも肺自体は膜の様に出来ていて、筋肉は無く、ゴム風船の様なものですから、肺自体が動いて膨らむ訳ではありません。然しながら、ゴム風船を膨らます方法が二通りの方法である様に、肺もまた同様の方法で膨らみます。1つは吹き口から空気を吹き込む事で、陽圧的に空気を入れる方法です。もう1つは風船に陰圧を掛ける事で空気が入っていく方法です。人間の肺の場合も同様に、人が死にかけて自発的な呼吸が出来なくなった時に『マウストゥマウス』という人工呼吸をする場合がありますが、自発的な呼吸が出来なくなって死にそうな人に直接、誰かが口移しに陽圧的に空気を入れる方法でがそのひとつです。 また、自発的な呼吸では、肺に陰圧を掛けて吸気が行われ、陽圧を掛けて排気が行われる為、2種類の筋肉を動かす事が必要になります。そのひとつは、胸筋の中でも肋骨を上下させる筋肉で、これを動かし、12本ある肋骨の内で胸骨に接着していない11番目と12番の遊離肋骨を広げる事で肺に陰圧を掛けて吸気を入れ、狭めて陽圧を掛ける事で排気を出す、という極めて基本的な呼吸方法が『胸式呼吸』です。 もうひとつが、腹筋とお腹にある“横隔膜”と呼ばれる筋肉で陰圧をつくり、肺を膨らませる方法で、腹筋でお腹を膨らませると、腹圧が下がり、横隔膜を下げる事で肺に陰圧をかけて吸気を入れ、腹筋を締め、横隔膜を押し上げて陽圧で排気を出すのが『腹式呼吸』です。
実際に呼吸をしてみればもっと違いが解ります。 先ず、『胸式呼吸』で息を思い切り吸ってみて下さい。肋骨を押し上げ、肺一杯に空気を吸い込んだつもりでも、その状態では、肺の下部を腹筋が腹圧が掛かっていて、広がらず、更に横隔膜が押し上げている状態になり、結果、押し上げた分だけ肺の容量を圧迫する事になります。 では、逆に『腹式呼吸』をしてみましょう。 自然に身体の力を抜いた状態で、臍の下あたりの腹筋を膨らませる様にします。そうする事により、腹筋が腹圧を下げて横隔膜を下げれば、下がった分だけ肺に陰圧が掛かり、肺を下方向へ膨らませる事が出来ます。その下方向への膨らみの分だけ、腹式呼吸の方が胸式呼吸より、多くの空気を吸えると言えます。これは所謂(いわゆる)『深呼吸』と呼ばれるものと同じです。単純に言えば、横隔膜を動かして深呼吸するのが『腹式呼吸』です。複式呼吸には沢山の空気を取り込めるメリットがありますが、実際に胸郭を開き胸式呼吸をすると手早く浅い呼吸であっても一気に大量の酸素が肺に供給出来るので、交感神経を刺激し、体を活動的に出来ます。 瞬発力の必要なスポーツは、胸式呼吸の方が良いそうです。 一方、腹式呼吸はゆっくりと大量の酸素が肺を満たして酸素を供給するので、副交感神経を刺激し、血圧が下がり体を弛緩(リラックス)させる効果があります。 武道などで腹式呼吸が重視されたりするのは、「敵を前に冷静になる」という事もあります。また、複式呼吸のリラックス状態から胸式呼吸に切り替えて、瞬発力を使うのはスポーツや武道では基本的な事だと思います。
このようにひかり接骨院では「呼吸」も整体にとって大切と考えています。
無意識を変えることが出来たらよいですね。